「はあ~、またあの人、洗い物ひとつしないのよ」
子どもが遊んでいる横で、ママ友がため息混じりに話しはじめたとき、私は笑って相づちを打ちながら、心の中でモヤモヤしていました。
“わかる”って言わなきゃ、空気が悪くなる。
でも、本当は私は、旦那の愚痴を共有したくてここに来たんじゃなかった。

笑えない“共感”に、私はだんだん疲れていった
その場のノリに合わせてしまう自分がつらい
初めてできたママ友。
同じ園、同じ年齢の子どもを持つ仲間として、最初は何気ない会話を楽しんでいました。
でも、ある日を境に、集まるたびに「旦那のダメ話大会」のような流れになっていったんです。
「うちなんてさ、帰ってきたらゲーム三昧よ」
「わかる~、うちも全然育児参加してくれない」
……そう言いながら、笑い合っているママたちの輪の中で、私は無理に笑うことでしか居場所を作れなかった。
本音が言えない自分が情けなかった
私の夫は、完璧じゃないけど、がんばってくれている。
それを素直に言うと、「いいよね~、理解ある旦那さんで」と、どこかトゲのある返しが来るのが怖くて。
私は「そうなんだ~、うちも似たような感じかな」なんて、ごまかすようになっていました。
“愚痴”が悪いわけじゃない。でも、私はもう無理をしたくなかった
気づけば、集まりがしんどくなっていた
もちろん、日々のストレスを吐き出す場があるのは大事だと思います。
でもそれが「義務」のように毎回続くと、ただ話を合わせるだけで精一杯になってしまう。
集まりの前日になると憂うつで、「子どもが風邪気味で…」と何度も断るようになった私。
それがまた、「距離を取ってる?」と気づかれそうで、さらに心が苦しくなっていきました。
本音をこぼせる人は“少なくていい”と気づいた
ある日、他のママ友とふたりきりになったとき、私は思い切って言いました。
「愚痴の時間も大事だけど、私、最近ちょっとしんどくて……」
するとそのママ友さんがぽつりと、
「私も、ああいうの毎回はちょっと疲れてた」
——あ、私だけじゃなかったんだ。
そう思えた瞬間、スッと肩の荷が降りた気がしました。
自分を守るための“距離感”を持ってもいい
「すべてのママ友と深く関わる必要はない」
ママ友付き合いは、友達とはちょっと違います。
“母としての立場”で関わるからこそ、無理に感情を共有しようとすると、心がすり減ってしまうこともある。
それでも、まわりと違う距離感をとることに、罪悪感を抱かないでください。
あなたの心の安心がいちばん大事です。
私が今、大切にしていること
- 話を聞くだけで無理に共感しすぎない
- 気の合う人と少人数で会うようにする
- 「今日はちょっと疲れてて…」と正直に断る勇気を持つ
すべてを否定するのではなく、「この場ではこのくらいの距離感が心地いいな」と調整することが、長く続けられる関係につながるのだと思います。
まとめ:共感しないと仲間外れ? そんなことはない
「ママ友の輪から外れたくない」
「愚痴を言わない私は“冷たい”と思われるかも」
そんなふうに悩んでいたあの頃の私に、今ならはっきり言えます。
「あなたは悪くないよ」
共感のカタチは人それぞれ。
あなたが疲れてしまうような“共感ごっこ”を無理に演じる必要なんて、どこにもないんです。
——ママである前に、私たちはひとりの人間だから。