「私のこと、ブサイクだって思ってるのかな」
そう思い始めたのは、たしかランチ会の帰り道だったと思います。
誰かがハッキリそう言ったわけじゃない。
でも、その場の空気、その目線、何気ないひと言が、胸の奥に小さな棘のように刺さって抜けなかった。
この記事は、「ママ友からの外見いじり」でつらい思いをした人へ向けて書いています。
自分を責め続けていたあの頃の私に、そして、今まさに心を痛めているあなたに届けたい。

ママ友に「ブサイク」と思われているかも…そう感じた3つの場面
「●●ちゃんに似てるよね〜」のあとの、あの沈黙
公園での雑談中、ひとりのママが私にこう言いました。
「◯◯ちゃんに似てるよね〜、ほら、あの…」
名前が出てこなかったその子は、後日検索してみたら、ネットで“残念な顔”と叩かれていた芸能人でした。
笑いに包まれた場のなかで、私だけが黙って、心だけがざわついていました。
あれは、悪気がなかったのか、わざとなのか。
でも「ブサイク」と言われた気がして、しばらく鏡が見られませんでした。
写真を撮るたび、タグ付けされない私
イベントのたびに集合写真が撮られ、SNSでシェアされます。
でも、私はいつも写真にはいるのに、タグ付けされない。
あからさまな無視じゃない。でも、そこには「見られたくない誰か」の扱いがある気がして。
写真を見返すたび、なぜか自分の顔だけが浮いて見える。
「やっぱり私、見た目で嫌われてるのかな」と思ってしまう自分が嫌でした。
「子どもはかわいいのにね〜」という、あの言葉の裏
運動会のとき、となりのママがぽつりとこう言いました。
「◯◯くんって、ほんとかわいいよね〜。あ、パパ似なのかな?」
そのとき私は笑って返したけど、心の中ではこう思っていました。
「つまり私はブサイク、ってこと?」
そのママがどんな意図で言ったのかはわかりません。
でも、言葉って時々、とても鋭利なんですよね。
ブサイクに見られているかも…と悩む私の心の動き
ママ友は、外見で人を判断するの?
決してみんながそうだとは思いません。
でも、一部には、「キレイ・オシャレ・若い=正義」みたいな空気があるのも事実。
その中で「地味」「化粧っ気がない」「太った」といった理由で、扱いが変わる場面は確かにありました。
自分の顔が「劣っている」と思い込んでいた
他人にブサイクと言われたわけじゃなくても、“そう思われてるかも”という想像は、意外と強く心を縛ります。
自分の表情すら信用できなくなって、無理に笑って、その笑顔さえ気持ち悪いと感じていました。
誰にも相談できないまま、ひとりで泣いた夜
家族にも、友達にも言えませんでした。
「被害妄想かもしれないし…」
そうやって自分の感情に蓋をしていたけれど、ある晩ふと、涙が止まらなくなってしまったんです。
「このままじゃ、心が壊れてしまう」
そう思ったとき、ようやく小さな一歩を踏み出すことができました。
私が実際に試して、心がほどけていった3つの方法
外見を「戦う場所」から「労わる場所」へ変える
完璧を目指すのをやめました。
朝のメイクも、コンプレックスを隠すのではなく「自分を丁寧に扱う時間」にしたんです。
鏡の前で「今日もがんばるね」と自分に声をかける。
それだけで、心が少しだけあたたかくなりました。
“安全な人”を見つけて、少しだけ気持ちを話す
「なんか、外見のこと言われてる気がして…」
思いきって、信頼している先輩ママに打ち明けました。
すると、「私も昔あったよ。あれ、ほんと傷つくよね」って言ってくれて──
共感されただけで、心がすうっと軽くなったんです。
その場から少し離れて、自分を守る
ムリにそのグループにいようとしないことも、自分を守る手段のひとつでした。
距離を取ってみると、案外平気だった。
そして少しずつ、「自分を否定しない人」と関係を深めていくようにしました。
最初は怖かったけど、“心がほどける相手”がいるだけで、こんなにも安心できるなんて──今ならわかります。
ブサイクと言われたような気がして、傷ついた私へ
外見のことって、とても個人的で、繊細で、他人から一言でも触れられると、深く刺さります。
しかもそれが、表立って言われたわけじゃなく、“空気”や“暗黙のニュアンス”だったりすると、自分でも傷ついてることに気づけないこともあるんですよね。
でも、そう言われる自分は悪くありません。
自分の顔がどうであれ、私のの価値は、何ひとつ減ることはないんです。
少しずつで大丈夫。自分を取り戻していきましょう。
私は、かつては「ブサイクって思われてる」と思い込んで苦しみました。
でも今、やっと言えます。大丈夫。そんなふうに思わせる人のほうが、心がブサイクなんです。
どうか同じ気持ちの人の心が、少しでもほどけますように。